ペイントレスラーの定義

素顔が分からなくなるまで、が基準

ではそうしたペイントレスラーとして活躍しているプロを見ると分かるのだが、顔に何かしらのペイントを施している事が第一条件となっている。要は素顔で試合をしていないレスラーは全てペイントレスラーだと、乱雑に述べるのであればそういうことになる。ただ一般的な尺度、つまりプロレス業界においての定義としては『顔の大半にペイントを施している』、この条件を満たしていなければペイントレスラーとはならないという。一般人からしてみれば顔を塗っている時点で既にペイントレスラーと取れるのだが、正確に言うならばカブキの様に顔面全体に塗りを施しているのが正しいペイントレスラーとしての在り方と見て取ることが出来る。そのためメイクの一線上として施されたペイントではペイントレスラーとしては呼称する事はなく、あくまで通常のレスラーと固定した方が良いと述べられている。

もちろんこの定義にも例外は存在している、プロレスの始まりとして活動することになったのがペイントレスラーだったがその後の活動の軸を変更し、素顔で活躍することになった場合においても扱いは通常のレスラーではなく、ペイントレスラーと言う風に認められるケースもある。ここで少し面白い話をすると、覆面レスラーとして活動していながら素顔もペイントしてすべてがばれないように細工しているレスラーもいるという。もちろんこの場合においてはペイントレスラーとしては認められず、あくまで覆面レスラーという肩書きで活動しているに過ぎない。つまりは、二重の意味で完璧な素顔を曝さないようにする絶対防衛線として、ペイントを利用している覆面レスラーも存在している。そこまでして素顔を見られたくないのだろうかと思うが、それだけなんとしても隠し通したいと考えている人が多いからこそ、安全策としてペイントという手段が用いられている。

では実際、こうした覆面ではなくペイントレスラーとして活動することを選んだらどのような利点、もしくは欠点が存在するのかを分析してみよう。

ペイントレスラーとしての特徴

ペイントレスラーはそれを主軸として行う者もいるが、中には既に活躍しているレスラーが更にその活躍の幅を広げるためにペイントレスラーに扮する、ということもある。素顔を隠しているわけではないため、あくまでプロレスを楽しむために出来るパフォーマンスとしても取る事が出来る。やり方によっては更なるファン層を拡大することも出来るペイントレスラーという存在定義だが、では実際に実行することになった際に生じる長所や短所、といったものは何かというと次のようなものだ。

ペイントレスラーの利点

有名選手がやるのはもちろん、どうしても外見上や試合結果などが地味でどうしても人気を獲得することができないレスラーがペイントを施すことによって注目を集める、ということも行える。ペイントをすることによって覆面レスラーと同様、通常のレスラーではない自分になりきるという点で意外な実力を発揮できる、と言うパターンもある。容易に二面性を獲得することが出来るという点で、それまで人気のなかった選手が方針を転換することによってカリスマ的人気を獲得することになった、といったケースもあるかもしれない。覆面とは違って、ペイントならば試合ごとに変更することが出来るというのも、大きいところだろう。

ペイントレスラーの欠点

しかし塗り直せる、という点が逆に盲点となっている。簡単に塗れるということは汗で簡単に落ちてしまうという欠点もある。女性でいうところのメイクが汗で落ちたから塗り直さなくちゃならない、という例が身近なところだろう。最近では水では落ちにくい商品などが開発されて事情は異なるかもしれないが、それまでは白熱試合の中で終盤ごろには素顔が曝されているという、何とも微妙な空気になっているかもしれない。ただそこを生かして、実は的な展開に正体を明かすというのも悪くはないだろう。

だが頑なに自身の素顔を曝すことは出来ないと考えているのであれば、この欠点に対しての対策は何をしても守らなければならないところでもある。中には一試合行っても全く落ちる事無く試合を終える、という選手もいるため一概に全ての選手に当てはまることではない。無論試合において手を抜いている訳ではない、努力と技術の成果によるものと述べるべきだ。

絶対的な数は少ないが、それでも需要はある

今でもそうだが、覆面レスラーとの数は絶対的に少ないのがペイントレスラーでもある。単純に素顔を隠して試合に望まなければならないというわけでもなく、あくまでキャラクター性を生かしたものとして使用されているので素顔が割れたとしても何ら問題はない。そう考えるとプロレスの試合内容が演出されていると見られてしまうのも無理はない、そしてどうして意固地になって隠そうとするのかも、微妙なところだ。それはそれ、これはこれと分類することは出来るかも知れないがいっそのこと台本が用意されていることを認めてしまえば、やり方も様々になるのではと思うところではある。